2011/03/30

'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店~“大分フェア!の4

続いては「豆豉泡双鮮/2種海鮮の黒豆味噌炒め」。2種の海鮮、というのはホタテ貝とまて貝。玉葱、微塵のパプリカに生の赤唐辛子の小口切りも。

「あ、この唐辛子、辛い!こんなに辛いとは思わなかった!」と迂闊な粗忽者。
「生の唐辛子の辛味、案外、馬鹿に出来ませんから」と知ったかぶりの私です。
ほんと、生の唐辛子、辛味しっかり。ですが、生で食べると辛味が立ちますが、火を通すとフルーティーな香り、旨味、風味がします。

この「豆豉泡双鮮」、「泡」というのはもしかして「油泡」ってこと?とすれば単純に油通し、炒めものってことになります。ともあれ香港で海鮮料理を看板にする料理店では定番的な料理のひとつ。見かけとろみ少々、なんてのがそれを物語る。

もっとも「豆豉」、豆の醗酵味噌(浜納豆みたいなもんですが)を素材に香味野菜などで調味料にした「豉汁」ではなく「豆豉」なんて表記、それに「豆豉」、大粒のまんま、なんてことからすると「豉汁」の調味料を使ったバリエーショ ン?なんても、基本は同じかも。
帆立貝、火が通ってますけど、表面は、ぱり、かりのしっかりの火の通しではなくってさっと表面に火を通した感じで、表面を引き締めてあります。ですが、噛み締めるとしっとり、ねっとりの触感ですが、レアっていう感じでもありません。ジューシーな旨味がほとばしり、甘味が浮き立ちます。火が通った結果、その表面は突っ張った張りがある。なんか緊張してる感じですね。しっかり噛み締める感じで食べるとしなやかな弾力あり。もごもご口の中で噛み締め続けたくなるチュウイーな触感です。しっかり火が通ってるからでしょう。

豆豉」の味付け、ほたて貝ではその甘味、旨味を引き立てる塩味、ひね味。それが身の引き締まったまて貝の旨味、風味を封じ込める感じ、という味わい、風味の対照がおもしろい。

そして、玉葱。こいつの甘味がなかなかです。
短冊切りやざく切りじゃなくって、玉葱の四分の一個の皮を一枚一枚はがしたまんまのもの。火がとってひりひりの刺激は抑えられ、むしろ甘味が引き立つ。それも四分の一個の玉葱の皮を一枚一枚はがしたまんまという切り分け、その分量が火を通した玉葱の甘味、旨味、風味、その存在感をしっかり主張、というのが面白い。

こんな風な玉葱の使い方、広東料理にはよくあることです。ほら酢豚の玉葱、細切り、ざく切りなんかより、ひと皮むいた玉葱のほうが、旨さを増す、なんてことでも明らかですよね。 パプリカは微塵切り。芸が細かいところです。

ですが、仕事の技ってことではやっぱり「とろ味」の加減、その分量。
過不足ない、というよりももうひとつ手前の「過ぎない」控え目な分量の加減。それが滑らかな舌触り、ほた貝やまて貝の素材の持ち味、玉葱の甘味、「豆豉」の塩味、ひねあじの旨味、風味を引き立ててますから。

'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店~“大分フェア!の3

続いては毎月の「例湯/老火湯」に代わって「潮式海鮮羹/海鮮入りとろみスープ」が登場。
「海鮮羹」は香港のホテルの中国料理店で度々体験。香港のホテルの中国料理店、それも高級ホテルの店では街中の広東料理店のように「例湯/老火湯」にはなかなかお目にかかれない。かといってふかひれの料理やスープでもなし。
そんな時、選ぶことの多いのが「花膠燉冬菇/魚の浮き袋と冬菇の湯煎蒸しスープ」、「韮黄花膠瑤柱羹/魚の浮き袋の細切り、干し貝柱と黄韮のとろみスープ」か「海鮮羹/海鮮のとろみスープ」。

ですが「潮式海鮮羹」というの初体験。いったいどういうとろみスープ?と興味津々。
とろみのついたスープ、その顔つきは「韮黄花膠瑤柱羹/魚の浮き袋の細切り、干し貝柱と黄韮のとろみスープ」に似ています。
ひと口食べてみると、まずは酸味、それから辛味。

「ねえ、これって「酸辣湯」みたいじゃない?」
「うん、うん、そんな感じ。似てる。けど、四川の「酸辣湯」みたいに、酸味も辛味も直接的というか刺激的じゃないし、ひりひりの感じがしなくて、マイルドだね」
「生姜の香りもしますね」

その具は、えび、ほたて、いかの粗微塵に、セロリ、ねぎなど。
それにしてもなんで「潮式?」。袁さんに聞きそびれました。
そういえば潮州料理では「辣」の辛味、意外に登場します。広東料理よりも頻度が多いぐらい。

もちろん広東料理でも赤、青の生の唐辛子、よく使われます。それに唐辛子を原料にした広東地方独特の「辣椒醤」があります。飲茶の時など、調味料とのひとつとしてテーブルに用意されています。独特の刺激的な辛味とひね味があるもので、はまって病みつきになる人も少なくない。日本の広東料理店ではお目にかかれないものですが、中国料理食材や調味料を扱う店の棚に並んでます。

もっとも、ここ最近、ってこの10年ほどですが「辣椒醤」をテーブルに用意する店は少なくなりました。ことにホテルの中国料理店や高級料理店では。というのも「XO醤」の出現とその一般化以後、「辣椒醤」にとって代わるものとなったからであります。

潮州系の店では広東系の「辣椒醤」にとって代わるものとして潮式の「辣椒醤」があります。潮州系の「辣椒醤」、辛味はありますが、広東系の「辣椒醤」のようなひね味はなし。むしろ唐辛子の刺激的な辛味を生かしたもので、油も原料になっています。

ということでは四川の「辣油」に似た感じ。 とはいえ四川の「辣油」と異なるのはアミの塩辛の「蝦醤」、あるいはえびの子の「蝦子」など海産の干し物、調味料や加工物、加味された「海鮮風味」になっているのがその特徴。さらには大蒜、葱などの香味野菜などが加えられることもあります。それも店によって加味する素材、分量、つまりレシピが異なりますから、店ごとに味が違います。

ことに潮州系の麵粥店、粉麵店での自家製の潮式「辣椒醤」は千差万別。
時に「これ、旨い!」なんて潮式「辣椒醤」に出くわします。そんな時、即座に「あの、この「辣椒醤」、すげえ、旨い。分けてもらえません?」と願い出る私です。

おもしろいことにどの店も自家製の潮式「辣椒醤」はご自慢らしくて、その言葉に店主はニンマリ。
たいていの場合「いいよ!」なんて返事が帰ってきます。
有料なこともあればただでおすそ分け、なんてこともある。
わたしの場合「有料:無料」の確率「2:8」。
というわけで我が家の冷蔵庫には戦利品の潮式「辣椒醤」が所狭しと並んでます。

それにしても「なんで「潮式海鮮羹」?」という疑問。袁さんには聞きそびれましたが、この「辣の味、すなわち「辛味」にそのわけありなのでは?なんて、勝手に解釈、納得しました。それにまろやかな「酸味」。

そうそう「だし」の旨さも見逃せない。味わい深い「だし」。
それがあってこそこの「潮式海鮮羹」は旨い。
上品で洗練された奥行き深い味わいでした。

2011/03/28

'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店~“大分フェア!の2

「赤阪璃宮」銀座店報告の復活です。
とはいえ気が気でならないニュースが相次ぎます。福島第一原子力発電所での「想定外」というのは、都合の良い言い訳という事実が次第に暴露されていく現実。被害をこうむった罹災地での厳しい生活。駅前や近隣のスーパーでの放射能反応の発表が煽った風評被害に加えて、さらなる一部商品の品薄、がら空き棚状態。補充されたミルクは一家に1本といった制限あり。ミネラルウォーターのビッグボトルには「乳児をお連れの方に限ります」という張り紙が。乳児や幼児を抱える一家には切実な問題でしょう。

ところで、メニュー確認のために「赤阪璃宮」のサイトをチェックしたら「3月21日をもって飯田橋店は閉店させて頂きます」との告知。ということは呉百駒師傳も香港に戻っちゃった?とても残念な話です。

さて、復活「'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店~“大分フェア!」、前菜に続いて「椒塩佐口魚 かぼす平目のスパイス揚げ」が登場。「佐口魚」とは平目のことです。
「これこれ、これです!、昨日、TVで譚さんがやってらした料理。近頃は養殖事情も改良や工夫がなされてるってことで、これ、かぼすで育てた平目だそうですよ」。
「料理の怪人」でそんな紹介があったそうな。
「かぼす平目」の詳細を知るべくネットで検索。要約すれば、大分では平目に限らずブリの養殖にもカボスが飼料に加えられているそうで、カボスに含まれるポリフェノールの効果によりブリの切り身の変色や臭みを長時間抑えられ、平目に関しては香り成分のリモネンによって肝の臭みが消える、なんてことでした。
「それにしてもこの平目、でっかい!」。
頭と中骨を残して切り分けて調理された平目の身の厚さからもその大きさ、充分に想像できます。

切り分けられた平目の身の調理、「油浸」なのか、ぷっくりふっくらした肉厚の平目の身の外側はさくさくとした「酥」の触感。噛み締めるとその身はしゅわしゅわ、ねっとりの触感。やっぱり養殖魚特有の脂の乗り、身の柔らかさが感じられる。ですが、ぬめっとした脂っぽさ、身の柔らかさに比べて、養殖魚特有のくせが抑えられているのは確か。もっとも、身にカボスの味、風味が行き渡っているわけでもありません。
それより調理方法を「油浸」にして、味付けは「椒鹽」にしたのが実に正解、というのに納得。しゅわしゅわしっとりねっとりの肉厚の身の味がスパイスの効いた調味で引き立つ感じ。

添えられた山芋(?)の揚げ物。これも外側はさくっとした「酥」の触感。噛み締めるとしっとり、ねっとり。けど、平目の身ほどの締まりはなくって舌にとろけていく。最初の触感は似ていても、味、風味は「山」のもの。
そうか、一皿で「海」と「山」の味、風味を味わう趣向なのだ!なんてことに気づきました。

頭や中骨に縁側部分の外骨、まんま素揚げにしてあります。
「平目」の身に比べれば油が少々重い。ですが「油浸」特有の調理方法のおかげか、縁側の小骨などしっかり火が通っていてかりかり、ぱりぽりの触感。塩味の加減もしっかり。
「これ、ビールのつまみにいいじゃん!」なんて声も上がります。おまけに頭の部分、頬肉が旨そうだ。アテンドの山下さんに持ってきてもらったナイフで頭を切り分け、仲間に勧めたところ即座にまってましたとばかり「うん!」のひと声。おいしいところを知ってる者の狙い目は同じです。
さっそくひと口頬張った仲間「やっぱ、頬肉、旨いわ!」。私もひと口。「うん、旨い。けど、ちょっと油が重くない?」とまあうるさい親父です。
そんな次第でとことん「椒塩佐口魚 かぼす平目のスパイス揚げ」を食べつくしたのでありました。

2011/03/25

東北関東大震災

被災された方々、心から見舞い申し上げます。
地震の当日、大船渡が津波で罹災というニュースを知って以来、携帯も通じず安否情報を確認し続けていた大船渡の「三陸シーファーム」の志田建志さん一家と連絡がとれ、建志さん一家の無事を確認できました。建志さんの兄、シダッチの恵洋さんも無事とのこと。

東京も地震に見舞われましたが、幸いにして我が家は損傷もなし。ですが、仕事場、棚に収まっていたものは何もありませんでしたが、日頃の整理不精が祟って積み上げたままに放置していた書籍、雑誌、新聞、CD類のすべてが散乱。

机の上に閉じた状態だったPCのノートブックを開けてみると、液晶画面のど真ん中に亀裂が走るというダメージ。どうやら重い何かが飛来し、ダメージを与えた様子。何が飛来したのか現場に居合わせなかったことから不明です。

PCの復帰に手間取り、ヴァン・ダイクはじめアメリカの知人の何人から届いたお見舞いメールを見ることができたのは地震から日を経てのことでした。余震が続くことや福島の原子力発電所の事故の話を伝えると「こっちに来て、しばらく居れば」という返信メールがありました。

地震のあった夜、所用あって駅前に。小田急が止まっていたこともあってバス亭には長蛇の列。駅ビルの商店は地震の際、陳列品やショーケースが壊れたことなどから急遽営業中止。派手な陳列をしていた近隣の商店も同様の被害にあって閉店状態。

そんな中で営業を続けるスーパーや商店もありましたが客は少なく、バスを待つ長蛇の列の前で始まった閉店間際のサーヴィスセールに見向きする人もいない。
その翌日、駅ビルは地震当日同様、営業中止。閉店状態のままの店も多い中で、地震の当夜人数の少なかったスーパーは人だかりで一杯。

ほとんどの客の籠にはミネラルウォーターやレトルト食品、カップヌードルの類やら米などがどっさり。日用雑貨を扱う店ではトイレットペーパーやティッシュペイパー、ガスボンベ電池類がみるみるなくなっていく。

地震当夜、店員のサーヴィスセールの呼び声に誰も見向きもしなかったパン屋の陳列ケースはほぼ売り切れのがら空き状態。あっけにとられるしかないすざまじい光景でした。ガソリンスタンドでは満タンする車が相次いだ、なんて話も聞きました。それもいざ東京を脱出という時のための準備、なんて話にも驚きました。その翌日、訪れた近隣のスーパーでは、日常雑貨、米、水だけでなく豆腐、お揚げ、納豆の類なども姿を消して陳列棚はガラガラの状態。

神戸で地震があった日の夜、ようやく実家と連絡がつき、当座必要な物資を依頼され、駅前のスーパーを駆け巡った時には、今回のような騒動はありませんでした。新幹線が動き芦屋までなんとか、という情報を得て神戸に戻った際、新幹線の中で私同様、日常物資や水を積んだカートを引っ張る人に何人も出くわしました。

今回のすざまじい光景は東京だけでなく、関東周辺、さらには大阪あたりでも同様に食料費や日用雑貨、ガソリンなどの買占め、備蓄が、なんて話を知って驚きました。それらが最も必要な所にこそ……と思うのは当然でしょう。

情報を知りたくてTV、ラジオに耳を傾けましたが、まるでスポーツ中継や24時間TVさながらに感情的で煽動的でわめきちらすことが目立った民放の報道姿勢……冷静に事実を報道し、検討するなんてこと出来ないもんでしょうか。

そして金町の浄水場での放射能検出が報道されて直後、ミネラルウォーターの類が瞬時にしてスーパーから掻き消えた。実際、駅前のスーパーに出かけた際、ガス入りのもの何本か残っていましたが軟水の大きなボトルのミネラルウォターは皆無。わずかに残っていた小ボトルもひとり2本までという制限付き。帰りに立ち寄った駅の購買店では3本までという制限付き。

本日、出かけた駅前のスーパーの野菜売り場の前で耳にしたのは
「あ、これ千葉産……千葉県も放射能反応があったよね……やめよう」なんて声。
埼玉産のほうれん草は山積みのまま売れる気配もなし。
風評被害の現実を目の当たりにしました。

2011/03/09

'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店~“大分フェア!

'11年2月の「赤坂璃宮」銀座店、またもや今月も月越えの紹介となりました。
着席早々、皆さんの話題は1月の新年宴会に登場した料理のあれこれ。
ことに「ハタのスパイス揚げ」の頭から想像出来るハタの大きさ、その頭、アラの頬肉の旨さ。表面はカリッと揚がってるのにしっとりしゅわとした身の緻密さ。

そんな話になったのも私よりも早くに到着していたメンバーのひとりが今月のメニューに「かぼす平目のスパイス」を発見。
「これって、昨日、TVで譚さんがやってた料理じゃないかなあ。確か「かぼす平目」ってかぼすで養殖した平目、って話だったし……」
なんてことで、すでにアテンドの山下さんと「赤坂璃宮」銀座店でロケが行われ、譚さんが出演したTV番組『料理の怪人』の話で盛り上がっていたからでした。

残念ながら私は『料理の怪人』を見られずじまい。それより店の玄関で見つけた「大分フェア開催!」というフライヤーのことが頭にありました。
これまでにも「赤阪璃宮」銀座店では全国各地の山海の物産を揃えた「○○フェア」なんて催がしばしばあって、日頃、滅多に出会えない地方の物産に出会えたからです。
「もしかして今日は大分産の海山の幸に出会える?」と、胸をときめかせていたのでありました。

さて、前菜の「璃宮焼味盤/璃宮特製焼き物の前菜」。

これは「大分フェア」とは関係なし、いつも通りの定番的な内容。
なんて思っていたら、なんと右端、豚耳の軟骨の寄せ物の「千層豬耳朶」。
これは嬉しい!

この「千層豬耳朶」「滷水」、つまりは漬け込みたれで下拵えした豚の耳を煮凝り状に仕上たもの。噛み締めるとこりこりの触感、舌触り。
さらに、コラーゲン質特有のとろん感がじわじわ押し寄せてくる。


 豚の耳の寄せ物、たいていの場合素朴な味、のはずなんですがこの豚の耳の寄せ物、下拵えの「滷水」にひと工夫ありなのか、ほのかに香辛料の香りが浮かび上がってくるなど風味がある。しかも味わいは上品で洗練されています。平林君、やるじゃない!

さらに左へ家鴨の焼き物の「焼鴨」、次いで「叉焼」、皮付き豚ばら肉の焼き物の「焼肉」。
「わ~、この「家鴨」とか「叉焼」とか豚ばら肉の焼き物とか、毎月、少しずつ分厚くなってない?でも、それだけ食べ応えがあって嬉しい!」なんて声が上がります。
「そうそう、だからこういう前菜の焼き物の切り方って、結構、重要なんだよね。見た目もそうだけど、口にした時の噛み応え、肉の厚さが旨さを感じさせる、なんてこともあるから。分厚いだけで満足感を得られるってこともあるでしょ?」

「ね、ね、この家鴨の肉、柔らかくってしっとりしててジューシーで美味しい。火の通り加減も良いし、美味しい」と、感嘆の声があがります。
「ほんと、ほんと、肉が美味しい。ここ最近のベストかもね。でも、皮の焼きが今ひとつかな。ちょい緩い感じで。皮はぱり、それで、こんな風に肉がしっとりジューシーだともっといいんだけど」と、うるさいのは私です。

「この皮付きのばら肉の焼き物、味、しっかりしてて良くない。塩加減もいい感じだし」
「うん、これいいね。皮はしっかりぱりっと焼き上がってるし、肉はしっとり。それに塩加減もしっかり。これぐらい利いてないとね」

「それよりこのほおずき、食べられるの?」
「あ、私、とっくにたべちゃいました。美味しいですよ、ちょっとほろ苦くって」。
そう、焼き物を取り囲む野菜の中にほおずきが。
「このくらげもこりこりしてて旨いね」くらげ、胡麻油で和えてありました。

なんて具合に前菜から盛り上がり。新年宴会の余波ってだけじゃなく、焼き物すべてひときれずつですが、しっかり前菜を食べた!なんて満足感を覚える食べ応えがありました。

2011/03/06

イーグルス"Long Road Out of Eden World Tour."

行くか行こまいかと思い悩んだイーグルスの来日公演。行ってきました。
そういえば、昨日の朝日新聞の夕刊に掲載された近藤康太郎記者によるコンサート評によれば、見出し「変わらぬ泣きのメロディー」なんてあって、その記事からするとなんだか懐メロ大会の趣き、ふんぷん。ちょいと足が重くなります。

もっとも、なんかありそ!なんて思ったのは、ネットで知った今回の来日公演のセット・リストによれば、その幕開け、グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・シュミットが並んでスティーヴ・ヤングの「セヴン・ブリッジズ・ロード」。

スティーヴ・ヤングはアラバマ出身のシンガー=ソング・ライターで、ヴァン・ダイク・パークスの名作「ソング・サイクル」の冒頭を飾っていた人物。その彼の「セヴン・ブリッジズ・ロード」をやるなんて相当なわけあり、と事情通なら思うはず。

ところが、本日のドーム公演、ヤボ用に時間をとられて開演に遅刻。肝心の幕開けの歌、聞き逃しました。それより、到着していきなり耳にしたのが「ホテル・カリフォルニア」。
「お~、こんな早くにこの歌ですか……」なんて思いながら耳を傾け、待ちましたあの間奏のギター・バトル。

かつてのドン・フェルダーにとって代わったスチュワート・スミス。最初はドン・フェルダーのあのフレーズをなぞりながら、しかし、半ば過ぎあたりから独自のフレイジング。その後を受け持つジョー・ウォルシュも、あのクキクキグィ~ンの音じゃ、ないじゃん!というオリジナルからびみょ~に変化したスタイル。嬉しくなりました。

続いて「ピースフル・イージイ・フィーリング」、「言い出せなく」、「魔女のささやき」、「いつわりの瞳」など、懐かしいヒットのオン・パレード。
しかし、でっぷり太ったドン・ヘンリーがギターを抱えて「ボーイズ・オブ・サマー」。
がらりと雰囲気が変わります。そんな感じの前半。4人のハーモニーが見事。
なんていっても、その厚み、時にサポート・メンバーも加わってのもの、なんてところを見逃せない。

そして4人のアカペラによる「失われた森を求めて」から始まった後半。
続く「夏の約束」あたりから、雰囲気一変。
「明日はきっと晴れるから」あたりになると、なんというか映画『ラスト・ショー/Last Picture Show』をほうふつさせる世界。砂埃の舞うアメリカの中西部の田舎の風景、ですね。
スタインベックの「怒りの葡萄」、さらにはやケロアックの「路上にて」なんかのイメージが重っていきます。

そして懐かしい「至上の愛」。けど、その歌詞からすると、もしかして、アメリカの田舎ではありがち、なんて言われて、カントリー・ソングのテーマになってたりする「情事」「密会」「密通」の世界?なんて想像が膨らむ。
おまけに続く歌が「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」。ランディ(・マイズナー)に代わって誰がリードをとるの?それはグレンでした。けど、高音が伸びない。

その曲、サザーンなソウル/カントリー風味ですが、ソウル風に仕上るかと思いきやアル・ガースがヴァイオリンを奏でてカントリー風味に。ますます、中西部の田舎事情を物語る趣きに。

なんてところに続いたのが「エデンからの道、遙か」。
アメリカのアフガン、イラクへの介入を背景に生まれた歌。ステージ後方のスクリーンに映し出される数々のシーンの中には、進軍を続けるアメリカ兵を写した場面、なんかも。

ブルース・スプリングスティーンが「Born in the USA」で、ベトナム戦争でのアメリカの犠牲者、ベトナムに派遣されたアメリカ兵、ベトナム・ベテランのことをテーマにしたことが思い起こされます。
そう、イラク・ベテランのことを思い起さずにはいられない。

ジョー・ウォルシュの「ライフズ・ビーン・グッド」もアメリカの消費社会がその背景にあり。さらにはドン・ヘンリーの「ダーティ・ランドリー」は過剰なマスコミ報道を批判。なんていってもドンがそのエジキになった腹いせ、つうのもありますけど、日本のTVのワイド・ショーに、そのままあてはまる歌。

締めくくりはイーグルス・ファンのご期待に応えて「ハートエイク・トゥナイト」、さらには「駆け足の人生」。ティモシーが手拍子をよびかけるなどして、盛り上がりの大団円。味わいを増したドン・ヘンリーの歌。絶妙のハーモニー。それに、遊び心もたっぷりで見せ場を心得たパーフォマンス。そして、ジョー・ウォルシュとスチュワートのギターの掛け合いの妙、ことにリズム・ギターのアンサンブル。

観客を見渡せば「坊主」、「刈り上げ」の若者はほとんど見当たらない。昨年のこの時期、ボブ・ディランのコンサートで見かけた光景とは違いました。目立つのはグレーヘアで、それも中年の髪長目のふつうの感じ。団塊の次なる世代、ってことでしょうか。

「懐メロ大会」、「集金ツアー」じゃないの?
とまあ、今回の来日公演、懐疑的でしたが、前半やアンコールでは「懐メロ」をしっかり聞かせ、ファンを楽しませてくれるサーヴィスもたっぷり。
ですが、今、言いたいこと、言っときたいことはビシっと伝えて、強烈な印象を残す。
「Long Rord Out of Eden」をもっぺんおさらいしてみたくなりました。